第六話:黒白の魔王

 

 

 四月一八日。午後三時四〇分。偽装トラック内。

 

 

被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)・・・・・・・・・確かに、脅威だ。それも〈神殺し(スレイヤー)〉は、泣く子も小便を垂れ流す。が、しかしだ。脅威なら触れずにいればいい。触らぬ神にタタリ無しって言うしな。組織も持たず、戦闘能力だけ特化していようとたがか、〈個人〉だ。幾らでも、どんな選択も思いのままだ」

 

作戦室の席で、資料を眺めながらマジョ子は不敵に言い捨てる。

 直接戦闘などせずに、財政面での戦闘をすればこちらが勝てる。そして、近付いてくるならこちらが逃げればいい。

 これほど、解り易く対処できる敵は、マジョ子にとって敵とは言わない。一般人と何ら、変わらないのだ。

 

「しかしだ・・・・・・・・・聖堂の第一騎士〈魔剣〉。カイン・ディスタードの情報が少なすぎる・・・・・・・・・」

 

 情報収集の専門であるレノが、小さく溜息を付く。

 

「申し訳ありません。そこに書いてある資料が、限界でした」

 

 カイン・ディスタード。血液、A型。性別、男性。年齢、二五。国籍イギリス。聖堂悪魔払い機関に所属したのは一六歳。その六年後、先代女教皇に〈魔剣〉の称号と女教皇近衛騎士。通称、〈聖騎士〉の地位と悪魔払い機関局長に任命。

 たった、それだけだった。

 

「アタシが昔、巳堂さんに聞いた話とほぼ同じだな」

 

 まだ美殊もいなかった時分に、マジョ子は聖堂の組織を直接霊児に問い掛けた時があった。

 

 

霊児に自分の住む屋敷に招待し、料理長のご馳走と上等なワインでほろ酔い気分のいい一時である。

 二人で食事を楽しむ。たわいの無いおしゃべりをしながら、洋食のフルコースを食べるという二人っきりの時間。

 霊児は上手い料理に上機嫌。しかも、出されたワインが気に入ったのか、マナーもへったくれも無く、並々注いだワイングラスをグビグビと呑んでいく。しかも、霊児は中肉よりやや細身であるにも係わらず、食べる量もすごいのだった。

 しかも、ほんとうにおいしそうに食べる。その喰い振りを今度も見ようと思ってしまうほどである。

そんな奢り甲斐のある霊児を見ながら、情報も引き出しておくことも忘れず、聞いたことがあった。

 

『〈聖堂〉という組織は〈悪魔払い機関〉、〈異端審問機関〉に巳堂さんが席を置く〈吸血鬼狩り機関〉がありますよね?』

 

『うん。そうだよ』と、ニコニコ、ニコニコと一本六〇万する赤ワインを丸々呑んで、上機嫌に頷く。本当に微笑む巳堂霊児の顔は、どこか子供っぽくてマジョ子も酔っ払っているため、頬は今以上に熱くなっていく。これだけでも、マジョ子にはほぼ目的を果し尽くしていたが、引き出せるなら今だと質問を続ける。

 

『その上には、〈聖堂七騎士〉があると風聞で耳に入れたこともあります。確か、退魔家との戦争を視野に入れた戦闘集団という噂も』

 

『そうなんだよ〜考えられるかよ? 戦争するために八百年前に立ち上げた騎士団だぜ? 何考えたら、そんな発想が出るんだよ?』

 

 普段よりも饒舌になった霊児に、冷静な理性はこれならもっと深く聞き出しても大丈夫だと打算する。

 

『魔剣、聖剣、神槍、鉄槌、(いしゆみ)、盾、杖の称号を冠するって、メチャクチャ偉そうだよな〜』

 

 巳堂さん・・・・・・・・・あなたはその中でも二番目に数えられています。と、突っ込みを入れず頷くだけに留めた。

 

『その中で、巳堂さんは〈聖剣〉の称号ですよね? なら、残りの騎士と面識がありますか?』

 

『いや。オレが面識あるのは、魔剣と神槍だけ。あとは、顔も知らないし〜噂どおりの奴らなら、顔も見たくないよ』

 

 温和な霊児から顔も見たくないと言うほど、それらの人物は相当の捻くれ者だと解釈する。なら、面識のある二人は?

 

『では、その魔剣と神槍の実力や、能力は?』

 

 ここまで質問すれば、さすがの巳堂も口を割らないだろうと思いながらも、問い掛けた。すると、霊児は先ほどまでのほろ酔いの微笑が、一気に冷めていく。

 マズったかと、内心舌打ちするマジョ子に、霊児は無表情に呟いた。

 

『バカだよ・・・・・・・・・アイツラは! オレ以外全部バカ!』

 

 思い出しながらのためか、拳でテーブルを叩きつけて吐き捨てた。

今なんて叫んだ? この留年生は?

 そんな表情を読み取ったのか、霊児は手を振りながら訂正する。

 

『いや、オレは勉強とかのバカじゃなくてね? そう、こっち方面じゃなくてあっち方面のバカなんだよ? 解る?』

 

 いいえ、全然。

 しかし、頭ではなく胸を指すジェスチャーで何となく理解する。相当な狂人か、異常思考者と分類する。

 

『では、実力は?』

 

『だから、バカなんだって! バカ以外何者でもないんだよ! 何で解らないかな!』

 

 それから能力、武器の至るまでこの調子での返答だけだった。

 

 

 だが、それ以降からガートス家で調べ上げた魔剣と神槍の情報は、数に限りはあるが、手に入った。ただし、全てが噂。尾ひれが付いているのか、付いていないのかも判別し難い物とあだ名だけだ。

 神槍の巻士令雄。聖堂第四位。規格外生命体。絶対捕食者。人外殺し。鬼門街聖堂支部の責任者。

 魔剣のカイン。聖堂第二位。竜殺し。巨人殺し。千人斬り。戦場刀。女教皇の鬼札。

 これだけの噂。

 そして、あの時の談話も今なら霊児が意図的に逆ギレして情報の隠匿を選択したかもしれないと、熟考してしまう。

 そして、この談話のやり取りは待機中、執事やメイドを副業としているガートス私兵部隊の面々もその眼と耳で聞いている。

 

「指揮官。あなたはとても優秀だ。そして、優秀すぎるから深読み過ぎる」と、レノは言う。

 

「そうだよ。巳堂はきっと、その魔剣と神槍だっけ? この二人があんまりにも嫌いだから、『バカ』って言い続けたんだと思うよ? 『バカ強い』って言いたくても、強いって言ったら、相手の賛美になるから言いたくなかったと思うけど?」

 

 ジュディーは肩を竦めて紫煙を吐いた。

 

「それが、妥当でしょう。今世紀最高の聖人と言われる巳堂も、やはり人間です。人間関係にはそれなりに悩みがあっても、おかしくは無い」

 

 アランも顎鬚を撫でながら言うが、それでも巳堂があれほど嫌悪するとは考えなれない。

 馬が合わないといえば後輩の美殊と霊児など、顔を揃えるだけでかなり嫌な空気を放っている。

 自分が間にいない時の部室内など、互いに背を向けて刀と杭の清掃をする霊児に、黙々と符札製作に取り掛かる美殊など、かなり重たい空気を醸し出していた。

 ストレートにものを言う霊児に、二面性を隠匿して本音と建前を使い分ける美殊。O型、AB型の定型的な悪さが目立ちに目立つのだ。

 なら、七騎士の全員がAB型なのかといえば、巻士令雄はO型。カインはA型と資料には書かれている。

 高速の思考をもって結論に達そうとも、熟考は止まらない。

 アタシはA型だし、O型と相性は結構良いし・・・・・・・・・巳堂さんの女性遍歴は三人で、最初がB型で、次がAB型で、三人目がO型だしな・・・・・・・・・第一印象はアタシに非があったけど、今はそんなことは無いし・・・・・・・・・今ではバイクのタンデムとか、二人でドライブとかもする仲だしな・・・・・・・・・いや、待てよ? アタシを異性として見ていないから親しげに接しているのか?

 

「指揮官・・・・・・・・・変な・・・・・・・・・思考は・・・・・・・・・そろそろ、止めてください・・・・・・・・・」

 

 ナイフを手放さない、一番変な思考をしていそうなサラに言われれば、もうお終いだ。

 頭を軽く振り、カイン・ディスタードの資料を見詰めて鼻を鳴らした。

 

「まぁ、どんな化け物でも負ける気は無いがな・・・・・・・・・」

 

 そう言って、カイン・ディスタードの資料を机に放って監視カメラへと視線を移した。

 

 

 

 四月一八日。午後四時五分。黄紋町(きもんちょう)国道六六号線

 

 渋滞はさらに混雑を極めていく。

 ラジオの交通情報では、またもや正体不明の暴走車が一〇代後半の少年を追い掛け回し、そのあおりで玉突き事故が続出しているらしい。

その交通情報どおり、サルベージ車と救急車が霊児の運転するレンタカーの反対車線を通り過ぎていく。

 

「何なんだ、何なんだ? 今日は厄日か!」

 

 ハンドルを思いっきり叩きつけ、クラクションで思いの丈をぶちまける。

 

落ち着け、ミドー卿。今日は事故が多かったと、気持ちを切り替えることを勧める

 

 今のオレはそんなモンに無縁なんだよ!

 心中で絶叫しながらも、ミリ単位で自制しつつバックミラーで女教皇ラージェの顔を窺いながら、口を開く。

 

本当。ゴメンな? せっかくの休日なのにさ・・・・・・・・・

 

いいえ、お気になさらなくても。それに、レイジさんと久しぶりに顔を合わせることが出来たのも、とても嬉しいことですから。それにパンダくんのお仲間に今日出逢えなくても、次の休暇がありますから

 

 その休暇は、あと何年後かも解らない。そんな少女の優しい微笑に、良心は苛まれる。

 

それに、実は言うと今晩の宿は知人の家でお泊りなんです。私、お友達の家で一泊するなんて、初めてなんです

 

そうなのか・・・・・・・・・

 

 ラージェが、自分に気遣っているのが解る。

 作戦とはいえ、自分がパンダを見せると見栄を張ったのに、その目的も達成することも出来ずにいるのは物凄く格好がつかない。

 

確か・・・・・・・・・カインさんは、何度かこの街で姉上と一緒に来たことがありましたね?

 

はい、ラージェ様。今日で、六度目です

 

 カインが、六度もこのA級霊地に足を踏み入れたことがあったとは、霊児には初耳だった。きっと、胸に着けたマイクで、マジョ子も聞き耳を立てていると判断した霊児は興味深そうに顔をカインに向ける。

 死に勝る屈辱に耐えながら、問い掛ける。オスカー男優にノミネートするほどの表情で問い掛ける。

 

へぇ〜お前がこの街にねぇ〜? でぇ? 今と前回じゃ、どっか違うのか?

 

何か変わっている所とか合ったら、教えていただきたいのですが?

 

 ラージェも霊児の質問に便乗する。きっと、退屈な渋滞を少しでも紛らわしたいのだろう。

 ラージェの気遣いもあり、カインは暫時の間を取って口を開く。

 

最初は、心底驚いたのが正直な感想です・・・・・・・・・・・・この土地で生まれ育った一般人ですら、聖堂に所属する新兵並みの魔力を持っていたのが驚きでした。後から前女教皇――――レイラ様の話しでは、この街事態は退魔家が興した土地のため、退魔家の血が根深くあると聞かされた後は戦慄しました。

退魔家といえば、我等〈聖堂〉の宿敵です。我々二千年の歴史を持つ聖堂とは、まったく相容れない歴史を持つ組織でもあります。我々聖堂と並ぶ戦闘技法、連盟と並ぶ魔術知識と、当時の私も今以上の警戒心でこの街を観察しましたが・・・・・・・・・A級指定地でありながらも、今と変わらず平穏でした

 

カインの感想と同時に、対向車線を通り過ぎていく救急車。軒並みセリフの意味を無くしていていたが、霊児自身とほぼ最初にこの街へ来た時との感想と同じだった。

 

住み易い土地――――とも、言えますね。ただし、キョーカ・マガミに敵として見られなければですが・・・・・・・・・・・・

 

確かに、噂以上の暴れん坊ですからね・・・・・・・・・・・・

 

 ラージェはコクンと頷いて、A指定地の街並みを眺めようと窓へ向けたのを見計らい、カインは霊児にしか聞えない小声で呟いた。

 

東の三〇〇メートル付近から、空港に出るまでの間から尾行している者がいる

 

 心臓が一気に凍っていく。

 何故、気付いたのかという疑問より、小声で話すほうが訝しかった。何かに気付けば、ラージェにも教える素振りがあってもいいはずなのだ。それよりさきに、何故自分に言うのか?

 

さらに歩道からも、四人交代でここを何十と往復する奴らもいる。見なくてもいい。表情を変えず、前方へ注意していろ

 

なっ・・・・・・・・・なぁ〜? 気のせいじゃないの?

 

 無駄だと思っていても知らずに、聞いてしまう。

 

いや・・・・・・・・・・・・通行人が同じ〈匂い〉だった。間違いは無い」と、呟くカインを霊児は凝視した。何時の間にか、窓を少し開け、外の空気を吟味しているのだ。

 

 まったく、そんな素振りも無い。自然過ぎるほど。

 予知に近い〈直感〉を持っている霊児に気付かせないほど。

 

フッ・・・・・・・・・・香水まで別にするとはな・・・・・・・・・手の込んだ連中だ

 

 香水にまぎれた匂いを!

 うすうすというのか、前々からこのカインという男が、バカだと罵り続けてきた霊児は改めてバカだと驚愕する。この雑踏――――そして、敵かそうではないかを判断する〈嗅覚〉と〈把握能力〉は自分には無い能力といって言い。

加えて、鷹の如き視力である――――身体能力だけで言えば〈規格外生命体〉たる、巻士令雄に並びながら、戦闘で培った経験の実績ある〈五感〉の鋭敏さは、霊児と同格とも言える。

相違といえば、霊児は殺気すら反応する〈触覚〉を持っている。だが、カインは霊児の〈触覚〉に遅れを取るものの、残りの嗅覚や視覚は〈規格外生命体〉を越えている。

女教皇の鬼札――――カイン・ディスタード。

〈魔剣グラム〉を愛剣とした、半人半魔の聖騎士は聖堂七騎士を束ねるに、充分過ぎるほどの風格と実力を持っている。

それも――――褒めたくも無いのに、褒めるような言葉しか思い浮かばないほどに。

腹を切るほうがマシと思ってしまう。それほどカインの万能的な能力に賞賛しか浮かばない。そんな胸中を歯牙にも出さず、懸命に苦笑を作り上げる。ついでに、ネクタイピンで信号を送るのも忘れない。

 

きっと気のせいだって? もし、そうならこんな渋滞に引っ掛かっているオレらを狙い撃ちだって、出来るだろう?

 

〈こちらソード! 至急現場から離れろ! 〈魔剣(カーズ)〉に気付かれた! 可及的速やかに!〉

 

出来ない理由など、目星は付く・・・・・・・・・

 

 信号を送る手を止めた次の瞬間にニヤリと、不敵な笑みを零しながら霊児に顔を向けるカイン。

 

〈魔剣〉、〈聖剣〉を相手に仕掛けてきた者など、聖堂二〇〇〇年の歴史で、誰一人として皆無。

二代前の女教皇を暗殺した〈黒白(こくびゃく)の魔王〉と呼ばれしマサキ・マガミですら、〈聖剣〉と〈魔剣〉の称号を持つ騎士と相対していない。その〈切れ味〉を知らず、襲撃してきた運のいい輩だ。幸運に助けられだけだ。残りの五二三人は、切れ味を堪能して今でもローマの無銘墓地に眠っている。『墓から出てくる奴等』には、俺が直々に安眠を提供しているがな

 

 何が、言いたいんだこいつは?

 

だから・・・・・・・・・何だよ?

 

我等二振りの剣を担う、九一代目女教皇ラージェ様に手を出す者は、命など微塵にして絶無。それを警戒してのことだろう。俺と貴様がいる時点で、ラージェ様に手を出すなら万死などでは済ません。絶殺すら生温い〈竜殺しの剣〉と、神も悪魔も等しく屠る〈聖者の神技〉の餌食・・・・・・・・・我々で殺せぬ者もなど、この世に存在しない。〈喰らう灰狼〉、〈硝煙の軌跡(マズル・フラッシュ)〉、〈怒る飢え(アングリー・ハングリー)〉も音速以前に〈光速〉で俺の剣をぶち込めば良い・・・・・・・・・・・・〈吸血騎士〉、〈闘争美徳者〉など、お前の神域すら凌駕する〈絶速〉の剣技で斬り捨てられる・・・・・・・・・・・・

 

 何だ? その、「俺とお前なら、どんな魔王や神だろうと剣の錆に出来る」って言いたげな不敵な顔は! こんな時に友情なんて感じてんじゃねぇよ! つぅかー暴力世界の三強相手に出来るか! 出来る奴らなんて! それこそ〈神殺し(スレイヤー)〉だけじゃん!

 いや・・・・・・・・・その〈神殺し〉はその三強と友好関係だったか? そのせいもあって微妙かつ絶妙な拮抗状態が続いている。皮肉のオプションに、「平和な毎日」が続いていたっけ・・・・・・・・・って、そうじゃねぇ!

 

 心中で霊児は絶叫を上げていた。

不味いぞ! こいつノリノリだ。闘う気満々でヤバイよ。とんでもなくヤバイ!

 

しかし――――奴らには少々、驚かせる・・・・・・・・・俺が気づいた時の退き際も、さきほどまでの包囲網といい・・・・・・・・・一定の距離を保ちながら監視を続けている・・・・・・・・・しかも、動きに一切の無駄がない・・・・・・・・・もしや、指揮者が近くで指示しているのか?

 

 心臓が! 胃が! 動悸が! ヤバイこと言うな! と、叫び出したいが、強靭な精神力で押さえ付ける霊児。

 

何はともあれ――――この渋滞が終わる頃には、動くだろう・・・・・・・・・準備しておけよ? レイジ?

 

 ああ――――だから、そんな命を預けるようなセリフを吐かないでくれ・・・・・・・・・オレが、この監視の親玉みたいなもんなんだから・・・・・・・・・・・・

 

 

 

四月一八日。午後四時一〇分。雑多ビルの屋上。

 

 

 土佐犬はカッコ良い! と、書かれた床に眼を下ろしながら、京香さんが「なぁ――――?」息を切らしながら、床に書かれた「犬」で始まる言葉から、犬がつく罵り言葉の単語を見ながら、京香さんは私と誠の顔を見比べながら、眉を寄せていた。

 

「何で、こんな話になったんだ?」

 

「確か――――こう――――「犬」に評せる人物の名前が思い出せず・・・・・・・・・」

 

「負け犬、噛ませ犬、犬死から始まったよな?」

 

 誠の言葉に頷く。

 

「そこから、柴犬の正しい呼び方は「シバイヌ」で、「シバケン」じゃないって京香さんが怒って・・・・・・・・・」

 

「シバイヌでもシバケンでも、通じるから良いじゃないですかって、美殊が逆切れして、シバイヌって〈シバく〉みたいな暴力的な感じがしますって、訂正を要求したよね?」

 

 したかな? 逆切れなんて? と、訝る私の横で京香さんは深々と頷く。ヤッパリしたんだ・・・・・・・・・恥ずかしい・・・・・・・・・覚えていない。犬の話になると、制御が利かない私が憎い!

 

「土佐犬は〈カッコ良い〉で、柴犬は〈可愛い〉で決着は付いたな? で、何故か〈パトラッシュ〉より〈ラッシー〉の方が賢いとかで、誠が〈パトラッシュ〉って言ったか?」

 

「うん。で、母ちゃんにメチャクチャ殴られて、あれから――――確か、一〇分くらい気絶していたっけ――――?」

 

「私がシベリアンハスキーはカッコ良いって言ったら、美殊が「あの犬はバカです」で、話がまた捻じれて――――」

 

「京香さん? 忘れていませんか? シベリアンハスキーは「カッコ良いから全て許される」なんて、暴挙を言ったことを?」

 

 シベリアンハスキーなど、ソリを引いていればいい。救助犬として優れているパトラッシュの犬種を無碍には出来ないし、許せない。

 

「美殊? だから、ブルドックのあの愛嬌を忘れないでよ? あいつ等は確かに不細工だけど、何かこう・・・・・・・・・憎めない愛くるしさもあるでしょうが?」

 

 とうとう、第二次犬議論が勃発してしまう。京香さん、誠。そしてこの私も、何故だか「犬」という動物には一種の狂信的なこだわりが、確固としてある。

 京香さんは大型犬のシベリアンハスキー派。

 私も大型犬。パトラッシュのような大型犬が好みだが、〈忠義〉的な姿勢を好む。

 そして誠は何故、あんな不細工が好きなのか解らないブルドック派である。確かに、可愛さはあるが、あれが可愛いと言えるには熟練した犬好きのみである。誠の恐るべき部分とも言えよう。

 互いが熾烈に苛烈に、犬の長所をあげては他の派閥がコケ下ろすというパターンが繰り返していく。

 こんな時に、生粋の突っ込み性質の巳堂さんが、この場にいればと思ってしまう。あの人なら、この泥沼のような状況下をあっさりと解決することも可能なのに――――まぁ、それ以上のことで頼ろうとは思わないが。解決できないなら、役立たずだし。

 

「解った。お前達が私と同じくらい犬好きだということは、良〜く解った」

 

 と、京香さんは手を叩き、議論を急停止。そして、私と誠の顔を見渡しながら呟く。

 

「だったらここは〈狼〉が、オールマーティーで納得しないか? ほら? 狼は犬のご先祖さまで大元だ。なら、シベリアンハスキーのカッコ良さと、パトラッシュの忠義、さらにブルドックの可愛さも持っていても、不思議じゃない! つぅーか、これほど全能の存在を無視しちゃいけない!」

 

「「おぉぉぉぉぉ!」」

 

 私と誠の驚嘆が、重なる。確かにそうだった。そう、狼は犬全ての派生元。私たちは種類とか形に囚われすぎていたのだ。そう、狼こそ私たちの心を離さない犬の〈ご先祖様〉なのだ! 根源は狼なのだ! 私たちの拘りなど、〈狼〉の一言で全てが決着する!

 

「そう――――私等は、犬好きではなく狼好きなんだ・・・・・・・・・こんな僻み合いなんて、狼に笑われるよな?」

 

 京香さんの微笑みに、私も力が抜けていく。知らず、今まで何故こんな簡単なことが解らなかったかと自問してしまう。しかし、眼からウロコとはこのことかもしれない。

 一つの拘りから離脱した私にとって、全ての犬が愛しい。

 

「シベリアンハスキーはヤッパリカッコ良いです」

 

私は呟くと、京香さんは首を振る。

 

「ブルドックだって、あの不細工と愛嬌は溜まらないさ・・・・・・・・・」

 

「〈パトラッシュ〉は最終回で、十回は泣けるもんな・・・・・・・・・シベリアンハスキーだってソリを引く姿はカッコ良いよ・・・・・・・・・やっぱ・・・・・・・・・」

 

 互いの嗜好を認め合う。今、真神家の犬議論は終結した。そう、犬好きなら狼も好き。狼が好きなら、全ての犬を愛さなければならない! なぜ、私たちはこんな簡単なことも解らなかったのか・・・・・・・・・

 

「第四九回の家族会議、〈犬議論〉も〈狼が好きだから、犬だって大好きだ〉っで? 依存は無いかい? 少年少女?」

 

「「イヤー!」」

 

 と、ラップの風味を効かせた京香さんへ私と誠も元気よく返答する。

 

「よし! じゃ、誠の封印を元に戻すか?」

 

「イヤー!」

 

「イ・・・・・・・・・・・・や? えっ?」

 

 私はノリノリだったにも係わらず、誠の口から炭酸の抜けたコーラのような返答。

 

「どうした?」と、訝る京香さん。

 

「・・・・・・・・・・・・えっーと? 何で?」と、状況が飲み込めない誠の呆けた表情をマジマジと見詰めながら、京香さんの表情は綺麗に先ほどまであったはずの親しみ、優しさ。そして、人間味が消えていく。

 

被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)の中で「女王」とあだ名され、「究極」と畏怖されし「退魔師」の顔だった。家でも、外でも誠にだけは見せたことの無い非情にし、無慈悲な顔をゆっくりと、誠に向けて真紅の唇を開く。

 

「何でって・・・・・・・・・お前は内にある「モノ」を、制御出来ると思ってんのか?」

 

 確認ではない。もっと冷たく「出来るわけが無い」と、知り尽した眼で。

 

「お前の内にある「モノ」はよぅ? 「制御」とか「管理」の埒外なんだよ。「ソイツ」は魅入られているってほうが、正しい。「お前」が、じゃないぜ? 「ソイツ」が、お前を決して放さない。お前が「ソイツ」を幾ら嫌おうが憎もうが、「ソイツ」は一方的なんだよ・・・・・・・・・」

 

 一方的。どれだけ誠が望まなくとも、誠を害成す存在を許しはしなく、決して妥協をせず。故に、一方通行。まるで誠の「モノ」と私は、似て非なる存在。

 

「「ソイツ」を操れた奴は、真神家八〇〇年の中で初代真神家当主と、真神正輝(まがみまさき)のみだ。いや・・・・・・・・・正輝に限れば、「ソイツ」を染めちまったってとこか?」

 

 真神正輝・・・・・・・・・たかが名前に、どれだけの強さがあったのか・・・・・・・・・私の背筋に悪寒が疾駆し、誠の身体も小刻みに震え出してしまう。

 厳然たる恐怖の権化の名前。記憶の奥深くに眠っている何かが・・・・・・・・・思い出すなと拒絶する。

 誠も同じなのか、震えている身体に力を漲らせ、震える膝に活を入れて辛うじて立っている。立ち――――尽くしている。

 

「ほらな? 名前を言うだけで、ビビっちまうだろ?」

 

 クールに、そして不敵に笑い飛ばして、私たちの顔を見渡す京香さん。

 

「それが「ソイツ」の一面だ。さっき感じだ恐怖は、全然錯覚じゃないぜ? むしろ正しいし、直感するだけでもお前等はいい。その――――ヤバいもんが、誠の中にある。そんなもんを解き放つと、どうなる? って、想像しなくてもわかるだろ? だから、封印するってことだ。なぁ? 解ったろ? 誠?」

 

 最後の言葉になると、京香さんは微笑して誠に言う。諭すように言うその微笑に、悲しい翳りがあった。実の子に「封印」を――――また、身体障害者のような感覚を味わえと、いう己を攻めるような陰鬱が、まざまざ見せられた。

 その表情は、あまりにも京香さんを知る私達が見たことが無いほど、重い。

昏く、深い、まるで太陽すら隠す暗雲がそこにある。暗雲のような過去の出来事が。

その暗雲の先を。まるで、誠の行き先を。

終わりを――――知り尽くしているかのような悲しみがあった。京香さんの瞳を真っ向から見詰め、誠は歯を食い縛りながら口を開く。

 

「いっ・・・・・・・・・・・・ヤダよ・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 京香さんは無言のまま、無表情に。ぞっとするほど能面のような顔を睨みつけるように、誠は叫んだ。

 

「また〈あんな鎖〉に縛られたくないよ! それに、もし「こいつ」が暴走しようが、何をしようが! おれがさせないし、おれが許さない! そんな事に何て、なる訳が無いよ!」

 

 子供のような口振りで、京香さんを見ながら叫ぶ誠。

どう受け取ったのかも解らない無表情のまま、京香さんはフィアットへ近付いてトランクを開けた。そして、二重細工に施された隠しトランクを開けると、埃を被った一冊の本を取り出す。

徐に開き、その本の文字を眼で追いながら、抑揚無く朗読をし始めた。

 

「二〇XX四月一六日。おめでとう、誠。そう、祝辞を述べさせてもらうよ。君が京香の封印の一つを突破した記念すべき日だ。今日が君にとって五年振りのバースデーだね? 叔父として、君に何かをプレゼントしたいが、それすら出来ない僕を許して欲しい。遠くにいるからね――――でも、君を何時までも、何処までも見守っている。そして、美殊。君にとっても嬉しい日だね? 最愛の兄は楔から解放され、生まれた瞬間でもある日に立ち会えた。僕もその場に居たかった。君と話せず、君と一緒に買い物も付き合えない僕を許して欲しい。僕も結構、料理が得意なんだ。京香には劣るけどね? 一緒に台所にも立ちたかったな・・・・・・・・・結構、拘りとかもあるんだよ。これでも」

 

 背筋が――――心臓が――――冷凍されていく。

 親しみと、まるで同じ場所で立っているような、同じ体験を共有するかのような。それでいて、「独白」の異様さ。

 本に書かれている今年の日付と、四月一六日・・・・・・・・・そんな事が、あるわけなど・・・・・・

 

「ここまで――――何か、間違っている「個所」は無いか?」と、京香さんが呟く。歯軋りすらしながら、私達を見窺う。間違いであって欲しいと、言うかのような眼で。しかし、無言を肯定と受け取ったのか、舌打ちして次のページを捲る。

 

「四月一八日・・・・・・・・・誠・・・・・・・・・」

 

 と、また誠と・・・・・・・・・誠の全てを知り尽くしたかのような出だし。

 

「封印が二つ解けているね?」

 

 まるで――――近くにいるかのように――――誠の背で・・・・・・・・・誰かの、見守るような微笑を私は幻視してしまう。頭を振り、眼を擦って再度誠の背を見る。やはり、錯覚。しかし、錯覚にしてはあまりにも生々しい。

 京香さんも同じなのかその本を読むたびに、誠の向こうにいるだろう「誰か」を、時折睨みつけている。

 

「今の君の気持ちが、痛いほど解るよ」

 

 誠の現在置かれている立場。そして、心境すら。本当に――――誠の肩を優しく叩く、叔父のように――――

 

「そして、今君がしようとすることを――――おっと。これ以上書けないみたいだ。京香が朗読しているのを・・・・・・・・・忘れていた」

 

 その本は――――その中身は何? まるで、誠のことを知り尽くしている。否、誠と私の一番の理解者面は? 

 

「京香さん・・・・・・・・・その本は?」

 

 私は、カラカラな唇を懸命に動かす。京香さんも同じなのか憎々しく表情を歪める。

 

「真神正輝が著者の、クソッタレな未来日記だ。題名は「真神の書」。五年前(・・・・・・)に家が火事になったろ? あの後、発見されたよ。しかも、この日記の最初にはこう書かれているぜ? ご丁寧過ぎて、ムカついたぜ・・・・・・・・・」

 

 そう、獰猛に歯軋りしながら最初のページまで捲り、その文を読み上げる・・・・・・・・・戦慄とか驚愕すら通り越す恐怖の一文。

 

「〈ありがとう、京香。君に拾ってもらって幸いだ〉――――だとよ。そっから、こう書かれている。〈(・・・)を失った君に書ける言葉を思いつけない〉――――だと! クソッタレが! 何処までも! ドッから何処までも! 端から端まで殺し尽くしても許せねぇ! 存在自体が灰になっても赦せるかぁ! 死んだ後すら! 死んでいても憎しみは消えねぇクソやロウがぁっ! 何が、〈でも大丈夫だよ。誠は友達と遊びに出掛けている。彼は「無傷」だ〉 あぁ? クソがぁ! クソッタレがぁ! 死んだ後でどうして、私達の「子供達」の「名」が解る! 全部見てきたように! 何が〈美殊も泣かないでくれ。実父の十夜(とうや)くんが死んだ時のように、君の泣く顔は心が痛む。涙を流さず、泣く君の顔は辛い〉だぁ! 見てもいないのに! 「見ていた」ように書きやがって! そんなに私達が面白いか! そんなに滑稽か! 生きている私達が無様かぁ! 「弟分」まで侮辱するのかぁ!」

 

 激昂し、熱風すら巻き起こす京香さんの怒気は正直、生きた心地はしない。自分に向けられていなくても、太陽の猛火に晒されているような感覚。だが、五体は焼けるように熱いのに心の芯まで氷結し、その怒気すら溶かせない恐怖が心にへばり付く。

一文、一文。そのまま。その通りだった。

 

――――私の実父は〈魔術絡み〉の事故で死んだ。

 父は私を近所の幼馴染みの息子を持ち、真神家当主たる京香さんと夫の仁さんに預け

「すぐに帰ってくるから」と、小さな私の頭を撫でながら言い残した。

あの時は・・・・・・・・・少しの疑いもなく、また遊んでくれると信じていた。父の退魔術は京香さんが唸るほどで。

 

「〈達人級(アデプト・クラス)〉を越えている」と、言わせるほどの実力を持っていた。

 

当時の鬼門街で〈達人級〉であり、

 

「〈聖堂七騎士〉の巻士に匹敵するんじゃねぇの?」と、〈神殺し〉の〈女王〉たる京香さんが評価する強い父が、私の自慢だった。

 

仁さんとは親友と言うより、どこか敬意的だった。そのことについて聞いたら、「女王様のハートを射止めた人だよ?」と、悪戯っぽい顔で言っていた。

 

誠とはよくキャッチボールをしたりしていた。私とは仕事の無い日は、動物園や遊園地に連れて行ってくれた。

優しく、気さくで、強い父が誇りだった。

道標の灯台だった。

そんな父は――――――――仁さんが亡くなる五ヶ月前に冷たい身体になって帰ってきた。

 もう、起き上がれない父を前にして、呆然と涙も流せず、霊安室で立ち尽くしていた私。

 悲しい時――――本当に悲しくて悲しくて、仕方がない時。「泣く」前に、心が「死ぬ」ことを私はこの時知った。「死ぬ」と、「泣く」ことも『無い』から。

父の実家も母の実家も「駆け落ち」した両者を許さず、私は親戚筋の全てから弾かれ者となる。

仁さんと京香さんは、そんな親戚連中に片っ端から電話して、

 

「解った。じゃ、こっちの好きにするけど文句ないな? あったらぶっちゃけて・・・・・・・・・灰にする・・・・・・・・・いや、灰すら残さねぇ・・・・・・・・・完全焼却(・・・・・・・)してやる」

 

本気に、獰猛に言い捨てて電話を切る京香さんや、

 

「解りました。そちらがそのような態度なら、こちらで・・・・・・・・・えぇ。もちろんあなた方に、迷惑はかけません。しかし、そちらが「掛けてくる」ようなら、僕もさすがに「怒り」ます。はい、「来る者拒まず」です。出来れば、来ないでください。暴力は嫌いですから」

 

と、誠とそっくりな面影と、光を反射させる白銀髪に眼鏡を掛け、温厚と無害の調和を施した顔を、怒りに染めていた。

弱者を慈しむ強者の気高き本質をみせながら、静かな怒りを見せた仁さんも、私の親戚連中への応対をこなし切った。

そして、仁さんと京香さんが真神の卓袱台で私を向かい入れる。「何も」感じる事の無い私に、

 

「ボク等の娘にならない? 美殊が良いって言ってくれたら、ボクはうれしいな?」

 

 にっこりと。それでいて、断られたらどうしよう? と、言うような不安を綯い交ぜにした微笑でオズオズと言う。

 

「私も・・・・・・さぁ〜? 娘が欲しいって思っていたし〜さぁ? その〜何だ? あぁ・・・・・・・・・・・・グタグタ抜かさず、私の娘になれ! 誠も良いか! 「妹」居てもいいな? つぅか、嫌だって言ったらてめぇを追い出す!」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ京香さんを、あの時初めて見た。

 

「何だよ! それ! 嫌も何も、美殊は前々から・・・・・・・・・十夜オジさんの仕事でこっちに居る時とか、こういう時とかは・・・・・・・・・その、「ウチの子」としてくれって十夜オジさんが言ってたじゃん。だから、その、えっと・・・・・・・・・当たり前・・・・・・・・・じゃんか」

 

 ――――私は最初から家族だと、恥ずかしそうに言ってくれた誠。

 

あの時の三人――――その言葉で、私は父を失った悲しみと、仁さんを父。京香さんを母と思ってもいいという嬉しさで、涙した。

 隣の食卓にいた誠が、泣いている私をオロオロしながら不器用に、背中を擦って慰めてくれた。

 京香さんが、私の頭を撫でてくれた。「いい子だから、泣くな」と、優しい手で。産んでくれた母も、生きていたらこんな風に撫でてくれるだろうと、思うほど暖かい手で。

 仁さんが私の止め処もなく流れる涙を、止まるまで優しく無言で――――大きくて、ちょっとゴツゴツした手で、拭ってくれた。実父も不器用な手付きで、泣く私を慰めたように。

 

 三つのぬくもりで、私は生きるために呼吸を再開した。

私はこの時、生まれた。「家族」の空気を吸って生き返ったのだ。

 今でも覚えている。忘れられない。忘れるものか!

 『真神美殊』が生まれた瞬間だ。その歓喜やその涙から、どこまでも私の今を形成する「全て」だ。その全てを! そんな貴い想い出を嘲笑うかのように。見てもいないのに、死んだ者が残した本の分際で!

 

建御雷神(ミカズチ)ッ!」

 

 言下とともに、私の守護騎士はその西洋剣の柄を握り締め、京香さんを両手の隙間。その忌々しき本を両断せんと轟音響かせ、風切り音を尾にして振り落とす!

 たかが一〇センチ未満の厚さしかない本など、建御雷神の豪腕を持ってすれば両断どころか、切り捨てた瞬間に燃えカスになって消え去る!

 しかし、本に剣が触れた瞬間だった。鋼すら凌駕――――否、鋼の塊が激突するような音色を響かせる。逆に建御雷神が力に弾き飛ばされ、構成していた稲妻が空気に霧散。私の守護騎士が、本に触れただけで「破壊」されてしまった

 断ち切れない――――断ち切れて当たり前の本を凝視する私に、京香さんは首を横に振る。

 

「無駄だ、美殊。この『本』は壊せない。私が何度も『燃やしても』、駿一郎が『唄っても』、アヤメが『叩き込んでも』、傷一つ付かない。私等が全力で消そうとしてもだ」

 

〈神殺し〉の三人。つまりは〈魔術に関連する世界〉の三強が、全力で消そうとしても、消せなかった本が存在するなんて。

 

「この本に記されているのは全部、「誠中心」だ。ダラダラと、忌々しいほど誠の「未来」を書き綴っていやがる。誠の魂にある「モノ」が、どんな風に「解放」されるかすら、な?」

 

「どっ・・・・・・・・・・・・どうなるの? おれは・・・・・・・・・・・・?」

 

 今まで無言だった誠が恐る恐る口を開き、本を凝視していた。

 

「「本」には、どうなるって書いてあるの? 教えてよ」

 

「聞きたいのか?」

 

 恐怖に震えながら、首を縦に振る誠。

 それを見て、マジマジと確認してから再び京香さんは本へ視線を戻し、最後のページを捲る。

 

「「一二月二五日。メリークリスマス、誠。君は全てから解放された。聖夜に君は全てを手に入れた。全ての鎖から解き放たれ、全てを壊すだけの力を取り戻した。君は自由だ。君のしたいことをしたまえ。君の好きなことをしたまえ。「憤怒の魂」の赴くままに。君は世界を破壊する最初で最後の「破壊の王」となる。僕が出来なかった事が出来る甥を、誇りに思うよ。僕の最愛なる後継者へ、親愛なる甥へ」・・・・・・・・・だとよ? どうだい? ここまで聞いたら、さすがに――――私の言いたいことが、解ってくれただろ?」

 

 無言のまま俯き、ギリギリと歯を食い縛る音がこちらの耳にも届いてくる。

 きつく握り締めた両手の掌からも、血が流れて出してくる。

 解る――――そう、解っている。これは、運命への反逆だ。ここまで激烈に神経を逆撫でするこの「本」は、何一つとして外れていない。

 つまりは――――このまま行くと・・・・・・・・・未来図は絶望的。誠の将来は暗雲の真っ只中であると。全てが破壊に終着すると。見えない糸で、見えるわけが無い過去の誰かの、思惑と意図で踊る操り人形。

 きつく握り締めた右手を、振るえながら掲げ始める誠。

 

「クソ・・・・・・・・・」

 

 制御が利かなくなったのか、誠の右肩からスパイクが音を発して飛び出す。上腕が隆起し、黒色へと変化し、拳骨を覆う暴力的なスタッズが覆われる。

 

「だぁれがぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 その右手を持って、呂律すら回らない怒りの咆哮とともにコンクリートの床を殴り付けた。鉄塊を振り落としたかのような轟音とともに、亀裂が縦横無尽に疾駆し、床は軒並み崩壊して私と京香さんは重力に吸い込まれるように落ちていく最中、誠は逆に重力を駆逐せんとする飛翔。

 崩壊し、屋上のすぐ下にあった雀荘のテーブルに着地した私は、すぐに顔を見上げる。が、そこには誠の姿は無い。

 

「誠!」

 

 私は声を張り上げて叫ぶが、瓦礫に埋もれた雀荘に木霊するだけだ。すぐ近くには、京香さんも舌打ちしていた。

 

「すぐ、ブチ切れやがって・・・・・・・・・」

 

 フィアットの車体を片手で持ち上げたまま――――フィアットに瓦礫が当たらないようとする余裕付きで立っていた。

 何で私と変わらない細腕で、車一台を軽々持ち上げられるのだろう?

 

「とりあえず、二手に分かれて探すぞ?」

 

「はっ――――はい」と、驚愕も突っ込みも言えないで返事をした瞬間に、京香さんはフィアットを持ったままトコトコと窓の壁へ向かい、徐にヤクザキックを叩き込む。

 

 誠のパンチなんか眼じゃない。壁は木っ端となって綺麗にフィアットが通り抜けるスペースを作り上げてしまう。爆風を突き破り、その穴からフィアットとともに降りてしまう。

 急いでいるのは解るが、幾らなんでもやり過ぎだと思ってしまう。

 驚くのは後回しにし、さっさとここから出た方が、いいだろう。野次馬に見られたら破壊した犯人とされてしまう。

京香さんに習い、速やかにその穴から飛び降りる。

自由落下中にポケットから使い魔の符札を撒き散らし、一〇体の鳩を生成。街全土へ監視の目を確保し、

 

帝釈天(インドラ)!」

 

さらに帝釈天(インドラ)を召喚。私は京香さんや誠のように、体力や身体能力に恵まれていない。

マジョ子さんは五階からなら、訓練次第で飛び降りられるというが、そんな訓練など受けたくも無い。

巳堂さんに至っては「歩けばいいじゃん?」と、言う始末だ。

ビルの壁を歩けると言う巳堂さん。さすが留年生は伊達ではない。重力の法則を知らないらしい。

六体の帝釈天は私より早くアスファルトへ着地し、落下する私の身体を受け止めるアーチを素早く描く。

そのアーチに背中を預け、体に圧し掛かるGを殺しながら帝釈天を解除。

猫のように身体を回転させ両足で着地し、稲妻がオゾンを焼きながら消えさり、私は駆け出した。

そして、出来れば――――京香さんより早く誠を見つけなければ。でなければ、何をしでかすか解らない。

きっと――――誠が怒っているのは自分自身に対してだと思う。許せないから怒っている。何だかんだと、京香さんに喰ってかかったりしているのは、誠の「甘え」だ。甘えられるだけの信頼を持っているから、出来ること。そんな信頼する京香さんに対し、自分が思っていた以上の重りになっていた事実に対して、怒りを覚えているのだ。それが、許せないのだ。

京香さんはそんなこと、百も承知している。一千も知り抜いた上で怒っている。子供なのだから、親に頼れと言いたいのだ。頼って良いと言っているのだ。護ると誓っているのに、だからこその封印なのに。

未来を見透かす・・・・・・・・・否、未来を知り尽くしている怨霊すらも、護るという鋼鉄の意思表示なのに。

二人の方向性があまりにも、反発している。

磁石の同極みたく、反発する。

その正体や心根について、二人は口が裂けようが絶対に言わないだろう。何故なら二人は本音で言い合うが、根にある本心を吐露したりなんかしない、「親子」である。己の意を通すため、何でもするだろう。喧嘩になることすら覚悟の上で。

そんな親子喧嘩なんて、私は絶対に見たく無い。

 

 

 

四月一八日。四時二〇分。喫茶店キサラギ。

 

 レスポールギターを抱いたまま、あれから身動き一つしない駿一郎の背中を細めで見ながら、鷲太は嘆息した。

 辛気臭い背中に向けて、とりあえず声だけは掛けておく。一応、声だけだ。

 

「おい・・・・・・・・・オヤジ? 何時まで落ち込んでるんだよ?」

 

「兄ちゃん・・・・・・・・・今はそっとしておこうよ。ギターはお父さんの魂。その上、お母さんがプレゼントしてくれたギターだよ? そんな・・・・・・・・・思い出深いギターの供養くらい、静かにさせてあげよう?」

 

 あのクソ生意気な弥生が、人を労わるような声音にビックリしつつ、溜息を吐きながら箒で硝子の破片を集めていく。

弥生は父親の分というように、小さな身体を動かして硝子の破片を手渡された箒でかき集めていく。

 

「でも、何でこの家はその――――異界に巻き込まれたのに、襲われたりしないのかしら?」

 

 忍が小首を傾げ、塵取りを抑えながら言う。

確かに。それは鷲太も感じていた。この家はもう異界に繋がっている。にも係わらず、決められた時刻のみだ。そんな忍と鷲太の疑問に、弥生はちょっと得意げな顔で口を開く。

 

「この家は〈結界〉を張っているからだよ。特に、二階の診療所と喫茶店は精神的な安定感とか、居心地のいい雰囲気を大事にしてるんだって。そのせいで、結界同士で鬩ぎ合ってるんだよ。異界が〈居心地の悪い空間〉だとするなら、ウチの結界は〈居心地良くしよう〉って反発して作動してるんだよ。ちょうど、空気清浄機に似ているかもね」

 

「でも・・・・・・・・・空気清浄機なら――――」

 

 忍が口篭もりする。鷲太も同じだと言うように、頷いた。

 いつか、限界が来る。

 

「本当・・・・・・・・・何とかならないのかよ? オヤジ?」

 

 無駄だと思いながら、駿一郎に向けて問い掛けた。

 

「・・・・・・・・・この家の結界はもって一日だな。だが、その今日中にケリもつく。今日中にこの異界は消え去る」と、まだ立ち直っていないのか、震えの残る声音で返答してきた。

 

「どうして今日中なんですか?」

 

 今日中なら、我慢できると――――思いながらも、断定する口振りに疑問を感じながら忍は言う。

 

「確か、入院患者も行方不明ですよね? その人たちも助かるって意味ですか?」

 

「いや、俺とアヤメの周辺だけ。あとは全員、運が悪ければ重症だ」

 

「えっ?」

 

「何でだよ?」

 

 問い掛ける忍と鷲太だったが、弥生だけは何故か納得顔で頷くも、クールを自称する妹の顔色は青かった。

 

「まさか? お父さん? 京香さんはその――――入院患者さんともお構い無しなの?」

 

「丸々だな。あいつの事だ・・・・・・・・・この異界を見つけ次第「丸ごと」ぶっ潰す選択肢を取る。またこんな事を起こそうとするかもれしない「バカな魔術師」へ、警告も兼ねて」

 

「その人は、行方不明者とか知らないからですか?」

 

「いくら、京香さんでも行方不明の人が居れば過激なことしないだろ?」

 

 二人の設問に、駿一郎は背中を向けたまま首を横に振った。

 

「やるさ。一秒も掛けないで実行する。何故ならこの街に「自分の息子と娘」、「俺とアヤメの子供達」が住んでるんだ。この結果を張った奴を完膚なきまで、木っ端微塵にしなきゃ気が済まないだろうよ。メチャクチャあいつは身内には甘いが、偏り過ぎ(・・・・・・)だから」

 

 マジかよ――――三人の顔が驚愕に染められていく。

 

「何て自分本位・・・・・・・・・ウチのお母さんといい、京香さんも少しは大人になればいいのに・・・・・・・・・」

 歯噛みする弥生だが、鷲太は頭を掻き毟って狂気一歩手前で叫び狂った。

 

「あぁ! もう! 京香さんといい、誠さんといい、美殊とにいい! 何であの家族は歩く危険分子なんだよ! だから近所で〈人間核弾頭〉とか、〈パンダ模様の人食いグリズリー〉やら、〈ナイフ少女〉なんて物騒な呼び名で言われるんだよ!」

 

「すごい・・・・・・・・・言われようだね?」

 

〈パンクロッカー〉、〈モナリザの毒舌〉なんて言われているよ? 如月くんのご両親は? と、胸中で呟きながらも忍は鷲太の激昂を宥めようとしていた。

 

「そうなる前に、この『店』から出ることになるな」

 

 ようやく落ち着いたのか、ギターを抱締めたまま立ち上がり始める駿一郎。

つまり――――入院患者の犠牲者を出させない為には、「人間核弾頭」が爆発できない状況下にすること。

身内と認識されている自分達が、異界に突っ込んでしまえば京香は「爆発」だけは自重すると言う意味だ。身を呈して入院患者を助けるため、全員で「人間の盾」を決行しなければならないことに、三人は盛大な溜息を付いた。

とんでもないことに巻き込まれてきたと、忍はだんだんと後悔してきた。

 

 

 

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